2015年1月5日月曜日
2011年1月25日火曜日
SNS ソーシャル・ネットワーキング・サービス
本年初の BAQの会ブログ つれづれ日記です、久しぶりに書いてみます。
Social Networking Service ソーシャル ネット ワーキングサービス いわゆるSNSでmixiや
モバゲー等に代表される Facebook と言うツワモノが現れているとか。
新し物好きの私としては早速お試しと......はじめてみました
http://ja-jp.facebook.com/ でメンバーになり masataka or kitagawa でお入りください。
仲間の作り方が良くわからないなー、でも面白そうです。
明日は 大学後期テストの実施日です、学生諸君の頑張りに期待(販売管理論Ⅱ)
追伸

名古屋の大雪です
八事 SALON BAQ
2011年1月16日AM10:30
http://www.baq.jp/ch3.html 漆芸を楽しむ年越し展を開催中ですが開店休業状態でした。
2010年6月21日月曜日
アラシックス親父のにわかカメラ小僧
アラシックスとなった今日この頃、昔なじんだ 銀板一眼レフカメラ に思いをはせつつ、オモチャを欲しがる子供のように手に入れた マイクロ一眼。
ミラーレスタイプでコンパクト、フレンジバックはレフタイプの50%、若干の解像度に目をつむればアマチュア親父にはぴったりサイズの今様カメラ。
早速、休日にドライブがてらブラブラと半田市の 新美南吉記念館に出向く。
エントランスで新美先生のお出迎え、小雨模様の夕刻でしたが来館者はわれ一人、子供の頃の遠い昔と日本の原風景を髣髴させる不思議な空間を体感。
撮影DATA マイクロ一眼 E-PL1 使用レンズ オリンパス M14-42ミリ F 4.8 S 1/60 F値 3.5の若干暗めのレンズでノーフラッシュ F値優先でどうかなの光量であったが結構きちんとまとまっている。 手ブレ補正もカメラ側にお任せ、やるもんだね。翌日は所要で蒲郡に、シーズン真っ盛りの形原温泉 紫陽花の里に足を向けた。早速一枚、圧倒的な紫陽花の株数と驚くばかりの品種の多さにびっくりしてもう一枚、最初の一枚は 同じく 14-42ミリ F8 S1/320 標準ズーム使用
二枚目は LUMIX パンケーキ G20 F1.7 をオートで使用ついでに幸田町の深溝松平家菩提寺、禅寺 本光寺の庭の紫陽花も観覧
柄にも無く 花、花、花の一日でした。
2009年2月1日日曜日
桑田真澄 夢への挑戦 背番号18 挫折と栄光
日本生命名古屋東支社主催の元プロ野球選手 桑田真澄氏の講演会。
ご存知PL学園で清原、桑田のKKコンビで1年生からレギュラーで甲子園優勝。
清原選手とのドラフトの因縁もあるが巨人軍入団 2年目からエースピチャーで歴代37位の通算173勝。
2006年周りの引退の声を退け最年長39歳でメジャーに挑戦。
2008年引退 2009年念願であった 早稲田大学大学院に合格。
ざっと経歴を列記するだけでも素晴らしい成功経歴の持ち主。
順風満帆 卓越した才能等など、持って生まれた能力で成功を勝ち取ったイメージがあるが講演会のテーマは挫折であった。
非常に上手な話術に、思わず嘘だろうといぶかりながらも聞き入った。
小学生時代-上級生からのいじめによる挫折、中学生時代-目標を失い喧嘩三昧の日々、
PL学園での高校生時代-清原選手との出会いによるコンプレックスからの挫折。等など。
当日は 高校生や中学生、小学生等の野球少年も多数訪れていた。
彼らに語りかける様に失敗や挫折は恐れるな。
七転び八起きの達磨の精神と努力をしきりに語りかけていた。
努力には二種類あり 表の努力と裏の努力がある、表の努力はいわゆる努力。
裏の努力を強調 自身の経験では人知れず報酬や効果を求めない奉仕の精神であり 彼は毎日5分の便所掃除やグランドの草むしり等を続けた。
大変良く出来た話でどこかの高僧が語っているようにも感じたが成功者の自信からか、又彼自身のキャラクターなのか自慢、高慢にならないよう細心の注意を払いながらの語りに思えた。
いじめや挫折を肯定的に捉えた上で対処法を縷々述べていたように感じた。
桑田氏が論理的で冷静沈着な思考力と判断力を持った選手であることは現役時代のマスコミの報道などで認識はしていたが立証していくような語りであった。
私は 熱烈な中日ドラゴンズファンである。アンチ巨人なのかも知れない。
選手桑田は わがドラゴンズにとっては実に厄介な投手で大嫌いであった。
彼の成功談や野球談義の話を想像していたが うまく彼の話術に引き込まれてしまった自分がそこに居た。
残念な事は、 肖像権とやらへの配慮で 桑田氏のPL学園時代のユニフォームやグラブ、巨人、パイレーツのユニフォームを着せてもらった野球少年達の一生の思い出になるだろうと思える記念の写真撮影を許され無かった事。
2009年1月5日月曜日
2008年10月1日水曜日
洋画家 後藤又兵衛 遺作展
洋画家 後藤又兵衛 遺作展
1925年(大正14年)~2002年(平成14年) 愛知県一宮市出身。
昭和から平成を生きた異色の洋画家 後藤又兵衛。現代画壇ではモダン派として、日本国内よりむしろ海外での評価が高く、ニューヨーク市立美術館、ヒューストン美術館、サウスカロライナ美術館、メルボルン国立美術館等にコレクションが収蔵されて、一つの時代を築きあげた。
同姓同名の剣豪のごとく、あふれる力強さと創造力、神への畏敬の念に根ざした自由奔放な造形力、芸術とはイメージの表現である、をモットーとして情熱を傾けた創作人生。

後藤又兵衛画伯の画歴 経歴の詳細はこちらに
若き日ローマン・カソリックの神学生であった後藤又兵衛氏の、イデオロギーや民族を超越して妙に日本的な作品と、人間愛に充ちた作品。 2002年 天寿を全うされ、神に召された。
名古屋 日動画廊で2008年11月5日(水)~14日(金) 遺作展が開催される。
今回DMに使われている作品は 「マジシャン」油彩20F 道化師をモチーフにした大人の童話と称される氏の特徴を良く捕らえた作品。
生前画伯の面影知るものから見れば、このマジシャンは画伯そのもの。油彩、オイルパステル60余点が出品される。
2008年9月16日火曜日
おしゃれなクッキング-見つけた
史跡で有名な長久手古戦場の木立の中-おしゃれなクッキング
TOMASHU-トマシュ-。(店名の由来はお世話になった方のイニシャル)
瀟洒な白亜の洋館に真紅のエントランス、歳時記の提案と上品で慎ましやかな装飾品。
オーナーの思いが伝わってくるたたずまい、食材にこだわり自家栽培の香草をふんだんに使った旬の野菜。
ランチメニューは和、洋、中華それぞれのメニューがあり、フレンチ イタリアンの様でもあり、和懐石の様でもある心楽しいレストスペース。
オーナーのお話ではもともと先代までは古式にのっとった作法-四条流包丁式を司る 和食のお家だそうである。和空間もあり。
食道楽でも食通でもない小生、勘違い、場違いな、食に関するブログ書き込み。
食は食のみを愛するものではないとつくづく思わされたひと時、今は秋。 器から装飾小物まで ウサギが跳ねていました。
もちろん肝心のお料理は大満足。
後記
工芸品はこのようにして使われるのだな"実感でした。
2008年9月2日火曜日
閑話休題-タシケントの河-村井峯二著に出会って
村井峯二著-タシケントの河

学徒出陣で召集、見習い士官として昭和20年終戦直前 ロシア国境戦線に従軍し、終戦によりロシア軍の虜囚となり中央アジア-タシケントに捕虜として抑留された村井氏の回顧記である。
短期間の促成研修で軍人教育を受けた青年が、運命をかけた前線で職業軍人の将校や士官達とのやりとり、様々な経歴を持つ兵隊たちの生死を左右する前線指揮をとる。戦後生まれにの小生には想像を絶する状況である。
前半部は関東軍の一員として現在の北朝鮮とロシア国境の戦場で、敗走につぐ敗走の状況、後半部分はタシケントの抑留生活を中心に展開する内容である。
村井氏退職の昭和53年、それまで書き溜めてきた記憶の断片を纏め上げ出稿され出版。(作家社)
戦時下、前線での戦況悪化時の人間模様や、終戦により シベリアに捕虜として送られ 中央アジア タシケントで抑留生活を送られた体験談を淡々とした表現で書き記しています。
ロ シア軍の監督官との交流、日本人将校、士官、兵隊たちの人間性を中心とした人間模様や、ロシア人の虜囚日本人観、敗走中の朝鮮人部落での人間的なかかわり の有様、実に素朴なタシケントの民間人との交流、同じ虜囚のドイツ人達との交流や文化の違いによるいざこざ、虜囚生活の潤いとなる虜囚劇団の立ち上げと公 演秘話。
実名も随所に入りリアルな臨場感すら感じる描写。
虜囚とはいえ青年らしい異性への関心事や、リーダーとしての立場と対処法など。
戦争、捕虜、等のキーワードから受ける同種の書物とは趣の異なる視点からの回想記である。
人間を自分史という視点から捉えた戦争体験記というべきか。

完読後の感想
悲惨な戦争体験記であり、決して推奨できる体験でも美化された作文でも無く、実に淡々とした文体で終始一貫して綴られた体験談、適切な表現を思いつかないが何かしらすがすがしいさの様な不思議な気分を味わっています。
ちなみに 村井峯二氏は ジェリーデザイナーのとしてご活躍でSALON BAQ でもお取引のある藤田久美氏の今は故人となられた父君です。ご冥福を祈ります。
2008年8月9日土曜日
安徳幼帝の伝説
先日TVで、高知県香美市物部町神池の高板山 (皇の居た山) の安徳陵伝説を放映していました。
安徳幼帝の伝説は 平家落人伝説の流布とともに各地に伝わっています。
壇ノ浦で入水せず平氏の残党に警護されて地方に落ち延びたとするものです。

宮内庁指定「陵墓参考地」
安徳天皇 (あんとくてんのう) 別名 言仁(ときひと) 治承2年(1178)
世は平氏の政権末期、時代に翻弄された伝説の幼帝。
故郷、高知-佐川の隣町越知町横倉山にも安徳稜があり子供のときから親しんでいましたので、懐かしさもあり数年前の安徳稜訪問時の記憶を呼び戻しながらしたためてみます。
詳細は色々な歴史書や演劇などで伝えられております。
数多くある安徳幼帝伝説の一つに高知県高岡郡越知町横倉山の安徳稜もあります。
国道33線を高知から松山に向かい約50分、JR佐川駅より車で10分~15分。
仁淀川中流域の町越知の町外れ10分程。
国道沿いの麓から車で一番高い所の駐車場まで約5分 それより徒歩で30分~位。
お約束の平家の宮や断崖絶壁にある平家穴の入り口近くの岩屋神社。
宮に着くまでには、博物館や八坂神社(祭神は天児屋根命(あまのこやねのみこと)
杉原神社(祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)
平家の宮(天皇の従臣80人余りが、横倉山の各所に祭られ、横倉宮の末社)
杉原神社と旧平家の宮
近くには名瀑大樽の滝(越知町) 植物学の父牧野富太郎誕生の地(佐川町)
勤皇浪士脱藩の道(佐川町)佐川カルスト高原(佐川町)等もあり歴史tロマン散策にはうってつけ
宮に着くまで様々な自然の景観や植物にも出会える、一寸した遠足気分を味わえます。







