藤井達吉 現代美術館 (碧南市)に思う
日本の工芸活動の功労者で 先ごろ当ブログでもUP済みの、 藤井達吉翁の美術館が 生誕の地 愛知県碧南市に2008年4月にオープン。
期待を持って先日初めて訪れた、期待が大きかっただけにひどく落胆し、失望した。
規模としてはあまり大きく無く、コンパクトな美術館で中々良い雰囲気でウツワは充分。
第一展示室、第二展示室、の2フロアー構成に地下にギャラリーフロアを持つ。
当日は東京国立近代美術館工芸館収蔵の人形展を第二フロアーで開催中。人形展はそれなりに鑑賞に値する見ごたえのある企画で堪能。
問題は 冠をつけた 藤井達吉翁の紹介フロアーの構成である。
当日は藤井達吉-人と作品-と題して第三期を展示公開中であった。
失望の要因は 藤井達吉と言う人物の捉え方についてである。
もちろん郷土の誇る偉人であるので翁の多様な作品を年代をおって順次紹介するのはそれなりの評価は出来る。
藤井達吉翁が偉大なのは作家としての名声もあるが、むしろ時代のなかで工芸をどのように捉えどのような活動を成しえたかと言う点であると私は考えている。
藤井翁が活躍をした時代、明治中期から昭和の戦後の時期までと言うのは 世界にとっても、日本にとっても、又日本の工芸会にとっても激動の時代である。
伝統的な和の見直しとインパクトのある外来文化を基調とした 工芸デザインがいたるところでぶつかり、融合を繰り返していた時代でもある。
翁は若くしてセントルイス万博に七宝で関係者として関与し後の思想を形成する大きなインパクトを得たものと思える。
自らは 七宝 絵画 彫刻 陶芸 等素材を問わず工芸全般にその類まれな才能を発揮し作品を排出している。
それも翁を語る一つの重要なファクターではあるが、更に翁を語る重要なファクターがある。
自ら工芸作家として作品を世に送り出すと共に国民協会の設立メンバー、官展の工芸部門設置の運動 、 (帝国美術学校)現武蔵野美大の創設期の教授等々、美術家教育や美術協会の設立に大きく貢献。
後に、工芸会の第一線を離れてからの活動の東海地区の古窯の調査や伝統工芸の復活に助力。
又、愛知の山村 小原地区に疎開中の同時期に行った 日本の工芸の再構築であろう。
日本の工芸も美術界が歩んだ道のりに良く似た変遷をたどっている。
アールヌーボーやアールデコに代表される 本来的意味合いのヌーベルバーグの潮流は工芸にも多大な影響を与えていると思われる。
翁は日本の工芸の一つの帰結として 小原美術和紙工芸を提案したものと考える。
藤井達吉美術館への落胆、失望はこれからの日本の工芸や美術のジャンルに大きなヒントを与えてくれている先人の業績に的確な表現で紹介がなされていない事である。
個人名を冠した美術館、博物館には作家の人となりや業績をただ羅列、紹介をするだけではない大きな責務があると言える。
藤井翁の工芸界に距離を置いてからの活動にこそ真骨頂があり、大いに語り継がれるべき要件であろうと考える。
0 件のコメント:
コメントを投稿