工芸雑感 6 (大量消費社会の罪)
昭和から平成に年号が変わる頃を起点として、社会生活と工芸のかかわりに変化が生じ始める。高度経済成長を成し遂げた社会に大量生産、大量消費時代の到来である。
生産と消費の関係は、人類史上本来的に、地産地消そのものであった、農水省などが盛んに提唱している地域生産地域消費は 行き過ぎたグローバル化の原点回帰である。
高度に発達した文明社会は 生産と消費のユニットに大きな革命をもたらす。
グローバル化という言葉で表現される生産と消費の関係が成立である。
このことは消費動向の持つ意味に変化と狂いを生じさせた。
初めて経験する大量の消費財の出現は、個々の選択肢の多さに戸惑いを見せ、迷いが生じ、又、消費欲求の必要性が低下した。その結果、消費動向の選択肢がブランド力と言うイージーで不明確な選択肢に頼る結果となる。
消費を喚起する側からは、各種メディアの広告媒体や情報収集メディア、新しい情報収集メディアとしてインターネット等も出現、欲望を喚起するための戦略が次々と打ち出され、広報メディアや関連諸企業が飛躍的躍進を遂げる。
結果、コピー商品の氾濫や偽装商品、詐欺商法、有害商品の販売事件へとつながり社会不安や モラルの低下をもたらし、不安社会を形作る遠因になる。
欲望の喚起が必然からではなく人工的に作り出される商法が蔓延し、拝金主義や物質至上主義などのモラルハザードを起こす遠因にもなっている。
平均化された価値観だけの社会から、個性を重視する社会が訪れる事が人間性と個の価値観の復活でもあると思う。
独断と偏見を承知であえて言えば、こだわりの意味が表面的要素になり意義や思想的な深さを必要としなくなった社会の到来かと。それは又ビジュアル偏重社会でもある。
思索行動や思案する手間と時間を省いたスピードが必要とされ、せっかちな社会なのかもしれない。個が尊重され重視される精神的に成熟した豊かな社会的規範が根付く社会の到来を待つ。
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