藤井達吉翁と工芸和紙の里 豊田市小原地区
小原地区の歴史を紐解くと 室町時代に気候条件に合致した和紙の原料となる、「こうぞ」の栽培が始まり、江戸時代には 凧紙・傘紙の三河森下紙の産地となっていた。
このような地理的条件を発生理由とする地域密着型の和紙産地は私の出身地土佐をはじめ全国に多数存在する。
昭和20年、小原地区は細々と紙漉き作業を営んでいた、この三河の寒村「小原」に大変革が起きた。
愛知県碧南市出身の工芸家で明治から昭和にかけて日本の工芸史に偉大な足跡を刻んだ 藤井達吉が疎開で移り住んだ。
当時の藤井達吉は一切の美術工芸団体の活動から身を退き、伝統工芸の調査と復活に情熱を傾けていた。
藤井翁(当時51歳)は伝統ある良質な小原和紙の衰退を惜しみ、この和紙産業の美術化を発案、地元の和紙漉き職人達に独特の手法を伝授、指導。
それは彩色されたこうぞの繊維を立体的に重ね合わせ、風景、襖、屏風、絵画等の作品を作り上げると言う手法であった。
後々多数の日展工芸部の作家を輩出する小原工芸和紙の誕生である。
近年は藤井翁の発案された 小原工芸和紙の魅力も生活文化の多様化や生活習慣の激変によりかっての様な存在感は失われつつあると思われる。
小原工芸和紙の継承者は藤井翁から直接指導を受けた後継者のご子息や孫弟子の年代の方である。
是非、現代社会に適応した新しい小原工芸の出現を期待する。
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